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私がエコーセミナーをするわけ

エコー淡路へのプロローグ

徳島大学病院 循環器内科・超音波センター 山田博胤

※画像はクリックすると拡大できます。

すべての始まり

 1994年,私は徳島大学医学部第2内科に入局し,そのまま大学院に進学して心エコー検査の勉強を始めた.
当時の徳島大学医学部附属病院のエコー室は9畳くらいの狭いスペースに,最新鋭の東芝社製SSH-160Aと,連続波ドプラ法のついていないアロカ社製の装置,そして,日立社製の装置が1台ずつ置かれていた.私はまだ医者になりたての丁稚奉公で,東芝の装置にはなかなか触らせてもらえなかった.
 先輩の検査を見学しながら,ポラロイド写真のカセットを入れ替えたり,撮った写真の定着紙をめくる役をしていた.ドプラ波形はストリップチャートという長巻物に記録されるので,それをスクラップしてファイリングするのも丁稚の仕事だった.当時は,誰も血管がエコーで見えると思っていなかった.少なくとも私の施設では,経食道心エコー検査で大動脈を見ていたくらいの記憶しかない.リニアプローブなど使ったことも,見たこともなかった.エコー検査は医師が行っており,エコー検査を専門とする技師は,我々の施設にはまだいなかった.

米国のソノグラファー

 その後,留学した米国クリーブランドクリニックで,多くのソノグラファーといっしょに仕事をした.彼,彼女たちはエコー検査の中心的な担い手で,日常診療,臨床研究のデータ集めはもちろん,動物実験のときでさえ医師がエコーを取ることはまれで,ソノグラファーが動物のエコー検査を行っていた.研究に特化したソノグラファーは,リサーチソノグラファーと呼ばれ,データを集めて学会発表を行い,大会場で講演を行い,論文を執筆していた.
 加えて,研究用のエコーを取り仕切る専属コーディネーターがいて,毎日の検査や実験に合わせて装置や技師を割り振っていた.装置やデータを管理する機械に詳しい専任のスタッフもいて,研究用のソフトウェアの開発まで担っていた.

10年間エコーに携わって考えたこと

 私が米国から帰国した2004年には,日本でも技師によるエコー検査が普及しつつあった.
日本とアメリカのいずれも恵まれた環境で10年間エコーを勉強して,次のように考えた.
大学病院でじっくり丁寧にエコー検査を行い,病態を解明したり,新しい診断法を開発したり,臨床に役立つ現象を論文に発表するのはとても大事なことだ.自分が研究したこと,発見したことが論文で発表されれば,もしかすれば,世界中の患者さんの役に立つかもしれない.しかし,エコー検査は,研究のためのツールであると同時に,“診断”という内科医の本領を発揮するためのツールである.もっと広く,多くの医師が使えるようになったほうがいい.そのころになると,装置の技術革新も進み,エコー画像を描出するのに職人的技術は必要なく,もはや誰でもプローブを当てればそれなりの絵が出るようになっていた.ポータブルエコー装置も市販されるようになり,エコー装置が検査室から飛び出すことになったのもこの時期である.こんな便利な道具をエコー専門家だけの秘密兵器にするのはもったいない,みんなに使ってもらいたい,そう思った.
 当時,循環器科を標榜している開業医でさえ,診療に自分で行う心エコー検査を用いている医師はまだ少数派であったと思う.大学病院でもエコー検査は,“エコーの先生”が実施する検査であり,エコーグループ以外の若い医師が超音波診断装置を使うことはほとんどなかった.もっと多くの医師にエコー検査を使ってもらいたい.病院で自分がエコー検査を行って診断できる患者の数は限られているが,セミナーを開催すれば,受講生がエコー検査をする患者,受講者が後輩に教えてその後輩がエコー検査をする患者...と,エコーの恩恵にあずかることができる患者が無限に増えていく,と妄想した.
 たくさん引用される英語論文を発表するほどではないにしても,自分の得た知識をたくさんの人に還元することができ,最終的には自分が診ることのできる患者の何十倍,何百倍もの患者さんのためになるのでは,と思った.

きっかけとなった出会い

 話は少し時間をさかのぼるが,まだ留学前で大学病院にいたころの話である.
入局してすぐに大学院に進学した私は,大木崇先生(東徳島医療センター名誉院長)の下で研究を始めた.当時の徳島大学エコーグループは,ドプラ法を用いて僧帽弁口および肺静脈血流速波形を記録し,各種病態の解析を行うことを得意としていた.
 そこに東芝社が組織ドプラ法を搭載した装置を開発した.まだ,大学病院には配備されておらず,新しい装置を購入したお隣の徳島県立中央病院に患者さんを連れて行って検査をしていた.心筋壁の色が赤や青に表示される装置で,最初は画像をマッキントッシュのソフトウェアを用いてオフラインで解析していた.カラーで見えるならパルスドプラ法でも取れるんじゃない,と井内新先生(現東徳島医療センター副院長)が,長軸断面の左室後壁にサンプルボリウムを当てると,収縮期に胸壁に近づく方向の波,拡張早期と心房収縮期には反対方向の波形が記録できた.カラー画像の解析は手間と時間がかかるが,これだと瞬時に結果がわかる.これでいこう!とパルス組織ドプラ法の研究が始まった.拡張早期波についての論文を大木先生が1997年にAmerican Heart Journalに発表,収縮期波についての論文は1998年にJournal of American Society of Echocardiography(JASE)に私が発表し,これが私の学位論文となった.
 そのころのJASEには毎号我々の論文が掲載される状態で,徳島大学心エコーグループは組織ドプラ法の研究で有名になった.そういう背景があったので,ノルウェーのVingmed社が組織ドプラ法の解析ソフトウェアを内蔵した新しい装置(SYSTEM5)を開発し,日本ではアロカ社がその販売を行うようになったとき,貴重なデモ装置を徳島大学に貸出しをしてくれた.このときVingmed社のアジア支店の香港人といっしょに装置を紹介してくれたアロカ社の担当が,阿部竜彦さんであった.その後,Vingmed社はGEグループになり,Vividシリーズ,EchoPacとしてその技術が引き継がれている.
 あるときその阿部さんから「私,会社辞めます」と電話があった.で,どうするの,と聞くとVingmedの担当だった人たちと新しい会社を始めるという.新しい会社は販売以外にエコーの普及啓蒙活動なども考えているので協力してほしいとのことであった.ちょうど,エコー検査を開業医に広めたいと考えていた私は,それに乗ることにした.その後,クリーブランドに留学が決まったため、頼まれて阿部さんの会社のWEBサイトに留学日記やアメリカの学会報告なども掲載したりした.

ハンズオンとレクチャーを一緒に行うセミナー

 帰国後に私が関わった最初のセミナーは,「動脈硬化性疾患における心・血管エコー検査のテクニックと臨床評価」というテーマで,2006年9月17日に広島市で開催した.心エコー検査の臨床について私が話し,検査のテクニックを技師の遠田栄一さん(元三井記念病院検査部部長)と吉田尚康さん(元県立広島病院臨床研究検査科副技師長)がライブデモで解説,松尾汎先生(松尾クリニック理事長)が血管エコー検査の話をしてライブデモを尾崎俊也さん(OBPクリニック検査部技師長)が行う丸1日のセミナーであった.
 そのころ下肢静脈や頸動脈エコー検査を我流で行っていた私は,松尾先生の講演と彼らのライブデモに感動を覚えた.私が,本当の血管エコー検査に触れた瞬間であった.翌月には,千葉県柏市で心エコー検査のセミナーを開催した.このとき,私の講演の後,会場の後方のスペースに装置を4台おいて,少人数制のハンズオンセッションの時間を取った.私が企画した最初のハンズオン形式のセミナーである.ハンズオンの講師は私と,石崎一穂さん(三井記念病院技師長補佐)が手伝ってくれた.エコー検査は,知識といっしょに,プローブや装置を操作する技術を必要とする.ちょうど,本を読んだだけでは上手にできない車の運転と同じである.自動車の教習所では,座学以上に実技教習の時間がある.エコー検査でもレクチャーだけでは伝わらないことを,実技実習=ハンズオンで伝える必要があった.今では学会や各種企業がハンズオンセミナーを行っているが,当時はハンズオンをしているセミナーは多くなかったと思う.いずれのセミナーも好評だったので,翌2007年も東京,名古屋,そして地元高松でセミナーを開催した.血管エコー検査もハンズオンに加えた.ハンズオンの時間を増やすため,レクチャーとハンズオンを並行して行うようになった.初日は初級のレクチャーと中級のハンズオン,二日目は中級のレクチャーと初級のハンズオンをそれぞれ選択制にして,レベルの異なる受講生に対応した.
 その頃,頸動脈エコー検査がブームを迎え,製薬メーカーが,頸動脈エコーセミナーを日本各地で開催するようになった.2007年6月,松尾先生をお招きして,頸動脈エコー検査のセミナーを徳島で行った.この時ハンズオンの講師をお願いした一人に三木俊君がいる.彼は以前徳島赤十字病院に勤務しており,徳島超音波研究会を手伝ってもらったり,徳島大学病院で下肢静脈エコー検査の勉強会をしてもらったりしていた.このときの松尾先生との徳島での出会いが,彼のその後の人生に大きく影響したと思う.一旦,大阪に戻ったが,同じ技師の奥様に引っ張られて東北大学病院生理検査センターの生理検査部門長に着任した.彼のライブデモは非の打ち所がなく,受講生にも大好評なので,今も様々なセミナーで講師をお願いしている.

講演上手な先生方とのセッション

 2008年3月には,尾崎さんの企画で,「心機能を観る!知る!解る!」というライブデモを中心としたセミナーを開催した.この時,兵庫医大の増山理先生に特別講演をしていただいた.私の講演を増山先生に採点されているようでかなり緊張したが,間近で聴いた増山先生や尾崎さんの素晴らしい講演とエコーテクニックは,後の私のセミナーにも少なからず影響を与えるものであった.
 2008年4月,前の会社でセミナー事業を行っていた阿部さんはUS-lead(アスリード)というエコー検査のセミナーを企画運営する新たな会社を熊谷公隆さん(アスリード社長)と立ち上げた.新しい会社になっても,心エコー関連のセミナーの企画を任せてくれたので,上松正朗先生(関西ろうさい病院副院長)に講師をお願いして,「聴診とエコーを生かす動脈硬化疾患の診療」というセミナーを大阪で開催した.上松先生は,経験と知識が豊富で,いっしょにセミナーをしていてとても安心感があった.それまではまったく雲の上の先生であったが,おつきあいさせていただくと陽気で気さくな先生であった.私自身が勉強になることも多く,セミナーもとてもやりやすいので,今でも年に1,2回は上松先生と行うエコーセミナーを続けている.

瀬戸内エコーセミナーとKYUSHU心血管超音波セミナー

 私の地元でもセミナーを開催したいと考え,2008年6月に高松で,翌年は岡山で心・血管エコー検査のセミナーを企画した.岡山でのセミナーは,倉敷中央病院の丸尾健先生に声をかけた.岡山で開催すると,結構遠い場所からの参加も少なくなく,沖縄や北海道から来ていただける方もいて驚いた.この瀬戸内海周辺の地域で行うエコーセミナーは,私が代表世話人となって『せとうちエコーフォーラム』を立ち上げ,その団体が主催する「瀬戸内エコーセミナー」と運営方法を変更し,現在も継続している.2016年の第8回瀬戸内エコーセミナーは,山口大学の和田靖明先生に当番世話人をお願いして下関で開催した.一方,2011年には,九州大学の小田代敬太先生に代表世話人をお願いし,『KYUSHU心血管超音波セミナー』を立ち上げた.心・血管エコー検査のハンズオンとレクチャーという同様のセミナーであるが,これまでに福岡で4回開催,2016年11月には那覇で開催する予定である.
 このように全国各地でセミナーを開催しているが,レクチャーや特にハンズオンセミナーの講師は,できるだけ現地の医師,技師に依頼することを心掛けている.これは,その地区の医師や技師さんにセミナーのノウハウを知ってもらい,将来的には現地スタッフだけでセミナーが開催できることを期待しているからである.実際に現在では,東京,岡山と福岡では,現地の技師を講師としたエコースクールが開催されている.もちろん,地元の医師や技師を引き入れることで,地元の参加者を増やそうというもくろみもある.同じ地域にいても施設が違うとあまり交流がないということも多いようで,このようなセミナーで一緒に仕事をすることで,同じ地域の医師,技師間が懇親できるというメリットも感じている.

初期研修医,レジデントにロックオン

 ただ,こういったセミナーを企画すると,参加してくれるのはほとんどが技師だった.当初は優れた技師が病院にいれば大丈夫だろうと思って,技師の教育に力をいれていたが,徳島大学病院でも研修医があまりエコーをしないことが気がかりだった.忙しい研修医にとって一番手を抜いて時間を浮かせやすいのがエコー検査だからだ.つまり,電子カルテでオーダーすると,技師さんが撮影してくれたエコー画像とレポートが返ってくる.エコーの活用できる医師に研修医が成長するには,若いときからエコーに慣れ親しむことが必要なのではと考えた.
 そこで,2013年からレジデントを対象とするエコーセミナーを始めた.研修医の絶対数が多いのは首都圏なので,まずは,出雲昌樹先生(聖マリアンナ医科大学病院循環器内科)に声をかけて新宿でセミナーを開催した.また,瀬戸内エコーセミナーやKYUSHU心血管超音波セミナーの初日は,レジデント向けのプログラムを意識して企画するようになった.まだ,期待するほどの受講生は集まらないが,やりがいは感じている.

松尾汎先生との出会いから始まったエコー淡路

 2006年に血管診療技師認定機構が発足し,わが国ではじめてのCVT(血管診療技師)が誕生した.その立役者は言わずと知れた松尾汎先生である.血管診療技師認定試験を受験するためには,認定講習会への参加が必要であるが,その血管無侵襲診断セミナーの運営は熊谷さんと阿部さんたちの会社が担っている.このような活動を通じて,松尾先生は,血管エコー検査の普及に尽力されていた.松尾先生は血管エコー検査を得意とするエキスパートな技師さんたちにいつも取り囲まれており,血管診療のプロフェッショナルな集団を形成していた.松尾一家のメンバーといっしょに行うセミナーを繰り返しているうちに,心エコー信者の私が血管エコー検査の魅力に憑りつかれていったのは,必然の流れだろう.
 いつの機会であったか記憶が定かではないが,何かの学会で松尾先生とお話しする機会があり,これからは血管エコー検査と心エコー検査を融合しないといけない,心エコー検査と血管エコー検査の勉強会を,全国規模でやろう,と話が盛り上がった.では,松尾先生のいる大阪と,私の徳島,ちょうど真ん中が淡路島ですかね.そういえばウェスティンホテルに併設されたいい会議場があったはず.会の名前はやはり“エコー淡路”.2大コンセプトは,@心エコーと血管エコーの融合,A医師と技師のコラボレーション,と会の骨格が勢いで決まった.

エコー淡路を開催するまで

 会場のキャパシティーを調べると,スクール形式では250人が最大だった.250人の参加者を集めなければならない.開催費用が一番の問題だった.当時でもアメリカで2日間のエコーセミナーの参加費は,日本円にして10万円を下らないくらいであったが,日本でそんな参加費にしたら来る人はいないだろう.参加費を安くするためには,企業からの協力を得る必要があった.
 2008年,徳島大学の循環器内科に東京大学から佐田政隆教授が赴任された.エコー淡路の企画を説明すると,二つ返事で,「ぜひやってください.私が協力できることはできる限りやります.」と心強いお言葉をいただいた.2009年7月14日に開催した第1回徳島Vascular Imaging研究会では,松尾先生を講師としてお招きし,佐田先生と松尾先生の間でエコー淡路の開催が確約された.ご存知のように製薬業界では様々な事件が起こり,最近は企業の協賛が得られにくい社会事情になっている.これまではある意味,我々が企業に甘えていたのかもしれない.自分が勉強するのに必要な費用は自分で賄うのが,本当は正しい姿だろう.しかし,参加費を高くすると受講生が集まらず,それでは会が成り立たない.毎回,協力をいただけるメーカーを探すのが,一番苦労する.これはほかのセミナーや研究会でも同じであろう.そろそろ,参加するほうも考えないといけないかもしれない.とにかく,趣意書を作成し,協力いただけるメーカーを探した.いくつかの会社から良い返事をいただき,エコー淡路の開催が現実味を帯びてきた.協賛メーカーを集めるに当たっては,やはり佐田先生,松尾先生の力添えが重要であった.
そして,2010年10月27日,最初のエコー淡路の開催にこぎつけた.

エコー淡路の講師

 エコー淡路の講師は,これまでに一緒にセミナーをしてきた医師や技師を主として,教えるのが好きで,話がうまく,セミナーの趣旨を理解してくれた方にお願いしている.
 経費削減のため,できるだけ関西圏の医師,技師を選ぶので,どうしても大阪よりになる.講師には,セミナーの講師だけでなく,事前準備や受付などいろいろな仕事もお願いしている.謝礼も十分ではないのに,毎年声をかけると来ていただける講師の先生方,技師の方には本当に感謝している.講師の先生方が毎日の激務の合間にテキストやプレゼンを作り,貴重時間を割いて淡路に来てくれることに参加者の皆様も感謝をしていただきたい.

エコー淡路の参加者

 最初に開催したエコー淡路の企画を考えたとき,参加するのは医師が多いだろうと想定してプログラムを作成した.これから心エコー,血管エコーを始めたいという若手医師や,エコー検査を取り入れたいという開業医の先生,特に,自施設にエコー検査を教えてくれる人がいない若手勤務医が参加するだろうと思っていた.逆に,そういう方に来てもらいたい,という希望もあった.本州からすれば淡路は“海外”であり,プチリゾート的な雰囲気もあるので,ドクターであれば家族といっしょに淡路に来て,自分は勉強して家族は遊んでもらうというようなこともできると,もくろんでいた.
 しかし,その予想は完全に裏切られた.エコー淡路2010の受講生215人のうち,医師は53人,技師が160人だったのだ(その他2名).したがって,2回目からは,技師の参加を意識したプログラム作りをしている.

エコー淡路のプログラム

 エコー淡路の初日は,二つの大会場を使ってそれぞれ心エコーと血管エコーのレクチャーが行われる.
前者は私,後者は松尾先生がいつもプログラムを考えている.2013年からは,心血管エ医師にエコーを使ってもらいたいと始めた企画だ.これは和田先生に取り仕切りをしていただいている.そのレクチャーと並列で,多種多様なハンズオンセミナーを行う.ハンズオンもしたい,レクチャーも受けたいという方のために,1日目午前のハンズオンコースを追加した.
 最近は,土曜日の午後から3つの会場で心エコーと血管エコーのレクチャーと初心者向けブートキャンプを行い,翌日曜日は一つの会場で心エコーと血管エコーのコラボレーションをテーマとしたシンポジウムを開催している.これが,エコー淡路のメイン企画である.いずれのレクチャーもスライドの解説だけでなく,できる限りライブデモを多用して,テクニックと知識の両方を修得してもらえるようなプログラムを工夫している.
 

エコー淡路のハンズオンセミナー

 エコー淡路の大きな二本柱の一つであるハンズオンセミナーは,毎回ほとんどのブースが満席になるくらい人気があり,申し込みの多いコースは複数のブースで行っている.
 一度企画したFMDのハンズオン,アロマセラピーのハンズオンは,参加者0で企画倒れだった.エコー淡路2014では,西宮渡辺心臓・血管センターの川崎俊博君がハンズオンセミナーを取り仕切った.種類が多く,会場も多いハンズオンセミナーの運営は大変で,当日も各会場を行ったり来たり,ご苦労様としか言いようがない.マンネリ化を防ぐため,他ではないであろうマニアックハンズオンを行うようになった.右心機能評価,組織ドプラ法コース,シミュレーターを使った経食道心エコーコースなど,案外人気が高い.コースを増やすと,準備と運営の手間も増える.
 このハンズオンセミナーに大きく貢献していただいているのが,超音波機器メーカーである.2日間,装置の協力していただいている上に,アプリケーション担当の人員を派遣してくれている.この場を借りてお礼を言いたい.いつもありがとうございます.それから,検査の被験者としては,学生のバイト以外の多くは,徳島大学病院を担当するMRさんが労務提供で協力してくれている.セミナー開催のために,本当にたくさんの人にお世話になっている.会場でセミナーを手伝ってくれている彼,彼女たちの後ろでは,会場に来ていないたくさんの人に迷惑や負担をおかけしているのだろう.いつも,すみません.

エコー淡路のレクリエーション

 海外では,エコーハワイ,エコーフロリダ,などリゾート地でエコーのセミナーが開催されていて,講義は早朝と夜だけで昼間は遊ぶ時間がとられているようなセミナーもある.淡路で開催するにあたって,そのようなことも少し考えたが,遊びながら勉強もというようなアメリカ的セミナーは,今の日本人には受け入れ難い.特に技師は必死に勉強されている姿が目立ち,遊ぶ余裕は感じられない.それでも,受講生と講師がいっしょに交流できる機会を作りたい,これは松尾先生が最初からずっとこだわっていることである.
 その一つの試みとして,二日目の朝にFan Run&Walkを行っている.走るのが好きな佐田先生にRunを先導していただき,松尾先生は早朝の散歩とラジオ体操を受講生の方々といっしょに楽しんでいる.大会長自らこのようなイベントを行っているセミナーは他にないだろう.また,講師だけの招宴は行わず,情報交換会として受講生の参加を歓迎している.第3回に行った講師と一緒にお茶の時間を,という企画はだれも参加希望がなく失敗した.どうも最近の若い方々は,1対1で面と向かって話すのは恥ずかしいらしい.

こうして始まったエコー淡路

 入局した医局に大木崇先生がおいでたこと,留学してアメリカのソノグラファーを知ったこと,阿部さんと出会ったこと,松尾先生とセミナー講師をしたこと,佐田教授が徳島大学に赴任したこと,セミナーを通じて優秀な技師たちと交流が持てたこと,徳島大学病院超音波センターにすばらしい人材が集まったこと,多くの偶然と必然が折り重なって,エコー淡路が始まった.
 多くの仲間の助けがあり,毎回参加していただける受講生のおかげで,4回のエコー淡路が開催できた.“I Love Echo”をモットーに,エコーが好きな人が集まって,エコーが好きな人がもっともっと増えるようにとがんばっている.5回目のエコー淡路2016は,11月14-15日にいつもの兵庫県立淡路夢舞台国際会議場で開催する.皆様と淡路でお会いできることを楽しみにしています.

エコーセミナーを超えて

 ハンズオンセミナーの次の段階の研修を希望する技師のために,徳島大学病院では,エコー検査の研修を受け入れている.多くは徳島県内の医療施設の技師が週に1度,半年〜2年間の研修することが多いが,県外から通ってこられる方もいる.2014年から,半年〜1年間の徳島大学病院心・血管エコー修得プログラムを始めた.初年度には,沖縄湘南病院の技師が1年間そのプログラムで研修して,日本超音波医学会認定超音波検査士を取得し,現在は元の病院で活躍している.
 技師だけでなく医師のエコー研修も受け入れており,2014年の上半期には関東中央病院から後期研修医が1名研修をした.また,2016年から初期研修医の選択プログラムとして,1〜2ヶ月間超音波センターが選択できるようにもした.研修医はその期間,入院患者を担当せず,エコー検査だけを行う.少しずつではあるが,エコーが好きな若手医師が増えているはずである.

私がセミナーをするわけ

 上司や先輩,他大学の先生方,優れた技師の皆さんに私が教えて頂いた心・血管エコー検査を,もっと広く,多くの方に使ってもらって,たくさんの患者さんにその恩恵を享受してもらいたい,これがセミナーにこだわる理由である.セミナーを受講した方や,私の施設で研修した方が,エコーで活躍しているのを見聞きすることほどうれしいことはない.  
 また,各地でセミナーを開催することで,講師を引き受けてくれた他施設の医師や技師とのつながりができた.このような絆は,病院で診療をして,学会発表と論文投稿に明け暮れるだけでは,おそらく築くことはできなかっただろう.最近の若者は,ライン,ツイッターやフェイスブックなど常に誰かと繋がっていないと不安になる人が多いという.私が平日の睡眠時間や週末家族と過ごす時間を削ってまで,セミナーの企画やレクチャーの準備,そしてセミナー自体に時間を費やしているのも,もしかしたら,”エコー依存症”だけでなく,“繋がっていないと不安症候群“を患っているからかもしれない.このやっかいな病気はなかなか完治しそうになく,しばらくセミナーを続けます.

                                                                                                                           

 

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